ぐっときた言葉のひとつ。
フィンランドでは
子どもが中学生にもなると
学校からのお知らせは
だんだん保護者には来なくなる。
学校や社会からは
「親は子離れしなさい」
と云われるようになる。
高校や大学にもなると
保護者ではなく
ほとんどのお知らせは
そこに通う本人に来る。
徴兵のお知らせも、同様。
子どもがだんだん離れていく
その様子は、親として
寂しい気持ちもあるけれど
自分で考えて
自分で生きていくためには
それは必要なことで。
選択の自由がある
ということには
選択をした責任も同時にある。
チャンスも権利もあるけれど
それらをつかむことができても
それらをつかむことができなくても
自分のせい。
これは、
誰かに云われたから決めるのではなく
自分で納得して決めるため。
それが、生きる、ということ。
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「フォローはするけど、コントロールはしない」
ぼくには子どもがいないけれど
「親って、こんな気持ちかもしれない」
というできごとが、
この話を聞いた前日にありました。
コントロールをすると
場はスムーズに事が進むし
調和も取れるかもしれないけれど
やはり「予定調和」でしかなく
想像の範疇を超えた
奇跡のようなできごとは
起きたりはしない。
場合によってそれは
機会の損失だったりもする。
手を離れていく不安はあるけれど
手を放したその先を信じて
じっと待っていると
想像もしなかったできごとに
出会えることがあると、
フィンランドに来て早々
経験できました。
この話は、またどこかで。
フォローはするけど、コントロールはしない
