フォローはするけど、コントロールはしない

IMGP5470

ぐっときた言葉のひとつ。
 
 
フィンランドでは
子どもが中学生にもなると
学校からのお知らせは
だんだん保護者には来なくなる。
 
学校や社会からは
「親は子離れしなさい」
と云われるようになる。
 
高校や大学にもなると
保護者ではなく
ほとんどのお知らせは
そこに通う本人に来る。
 
徴兵のお知らせも、同様。
 
 
子どもがだんだん離れていく
その様子は、親として
寂しい気持ちもあるけれど
 
自分で考えて
自分で生きていくためには
それは必要なことで。
 
  
選択の自由がある
ということには
選択をした責任も同時にある。
 
チャンスも権利もあるけれど
それらをつかむことができても
それらをつかむことができなくても
自分のせい。
 
これは、
誰かに云われたから決めるのではなく
自分で納得して決めるため。
 
それが、生きる、ということ。
 
 
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「フォローはするけど、コントロールはしない」
 
 
ぼくには子どもがいないけれど
「親って、こんな気持ちかもしれない」
というできごとが、
この話を聞いた前日にありました。
 
  
コントロールをすると
場はスムーズに事が進むし
調和も取れるかもしれないけれど
 
やはり「予定調和」でしかなく
想像の範疇を超えた
奇跡のようなできごとは
起きたりはしない。
 
場合によってそれは
機会の損失だったりもする。
 
 
手を離れていく不安はあるけれど
手を放したその先を信じて
じっと待っていると
 
想像もしなかったできごとに
出会えることがあると、
フィンランドに来て早々
経験できました。
 
 
この話は、またどこかで。